生徒が立てた問い
先日のレッスンで、一般動詞の未来の表現を練習していたときのことです。
小学生の子が、突然こんなことを言いました。
「未来形は will とかbe going toとかつければいいけど、過去形は何もつけずに動詞が変化して、大変。
なんでこうなるの?」
私は、これは素晴らしい問いだと思いました。
英語の文法を比べてみると…
現在形:I play tennis.
未来形:I will play tennis.
過去形:I played tennis.
確かに、未来を表すときには will という助動詞が入り、その後ろの動詞 play は原形のままです。
一方、過去を表すときには、肯定文で助動詞を置くのではなく、動詞そのものが play → played と変化します。
さらに go → went、see → saw のような不規則変化まであります。
子どもからすれば、
「未来は前に何かをつけるだけなのに、どうして過去は動詞そのものを変えなければならないの?」
と思うのは、考えてみればとても自然なことです。
確かに、過去形は面倒くさいですね!
私がすごいなと思ったのは、この子が、誰に何を言われたわけでもなく、自分からこういう問いを立てられたこと。
「未来は will + 動詞の原形にする」
「過去形は動詞を過去形にする」
ということを、難しい文法用語を頭の中で知識としてただ蓄積したわけではなく、そのまま別々の知識として覚えていたわけでもなく、
この2つを自発的に自分の中で比べて考えていたのです。
そして、
「こっちはこうなのに、こっちは違う」
という英語のしくみを自分で発見しました。
その違いに引っかかり、
「なぜ?」
という問いを自分でつくったのです。
これは、すごいことだと感激しました。
「答えられる」より前にあるもの
学校の勉強では、どうしても「問い」と「答」は最初から用意されています。
問題集を開けば、
「次の文を過去形にしなさい」
「( )に入る語を書きなさい」
と、すでに誰かがつくった問いが並んでいます。
子どもは、その問いに正しく答えることを求められます。
もちろん、それも大切な力です。
英語を身につけるためには、覚えなければならないことも、繰り返し練習しなければならないこともあります。
でも私は、それだけでは、せっかくの言語学習がもったいないと思っています。
学んでいる途中で、
「どうして?」
「こことここは似ている」
「でも、ここだけ違う」
「だったら、これはどうなるんだろう?」
と、自分の中から問いが生まれる。
その瞬間には、与えられた知識を覚えたり、正解を求めたりするのとは全く違う思考と学びが起きています。
英語を通して「考える」
英語教室では、英語ができるようになることが重視されます。
単語を覚えて、文法を身につけて、
読めて、書けて、話せて、
英語を操れるようになる。
こうしたスキルは、きちんと育てていきたいと思っています。
でも、その過程で、
「自分で何かに気づく」
「なぜだろうと思う」
「自分の言葉で問いにする」
という経験も、同じくらい大切にしたいと思っています。
誰からも聞かれていないことについて、自分で問いを立てられること。
これは、子どもたちが正解・不正解で評価されがちな、学校などや各種試験ではなかなか測ることのできない力です。
けれど、これから何かを学び続けていくうえでは、とても大きな力になるのではないでしょうか。
今回の
「未来は will をつけるのに、どうして過去は動詞そのものが変わるの?」
という一言。
英語の文法についての小さな疑問ですが、私はその中に、
自分で観察し、自分で発見し、自分で考えて、問いをつくる。
そんな学びの大きな力を見ました。
こういう「なんで?」が自然にたくさん出てくる教室でありたいと思っています。



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